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| <由緒>(平成祭) 諏訪神社は、980有余年の昔、一条天皇の御代寛弘年中(1004年~1012)左近衞中将藤原實方朝臣の勧請により、もと造道村浪打の地に鎮座したのにはじまる。その後、寛永8年(1631)青森開港の際、藩命をうけた森山弥七郎が、開港の守護神として堤川河口に遷座申し上げた。爾来津軽藩主を始め民衆の崇敬篤く、元禄年中まで青森5社の筆頭として崇められ、旧藩時代は青森港の鎮守として尊信厚く、藩主たびたび参拝をしたという。しかし、明治5年の青森大火により結構の社殿をはじめ、風致ある境内としてきこえの高い鏡の井、逆手の桜などと称する名樹、古井も瞬間の火に烏有に帰した。そして現在の栄町の地に仮拝殿を建てて遷座したが、大正13年には総ケヤキ材による流造りの豪壮な社殿が完成した。この間明治6年村社に列せられ、同44年には神饌幣帛料供進社に指定され、ついで昭和4年11月郷社に列せられている。しかるに大東亜戦争末期昭和20年7月28日青森大空襲により、本殿、弊殿、拝殿、神庫、宝物、什物などことごとくが戦火に罹ったのである。戦後の混沌とした世状の中で、昭和24年合浦公園にあった招魂堂(明治25年建立)の払下げをうけ、まづ拝殿を復興した。そして昭和47年12月には鉄筋コンクリート造りの本殿を再建、結婚式場の参集殿は昭和52年10月新築落成したものである。
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