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| <由緒>(平成祭) 当社はもと八幡宮と称された旧社であるが、後水尾天皇の御代の元和2年(1616)、火災により文書類がすべて焼失してしまったために、その創建年代など詳細は不明である。しかし、その神威霊験はあらたかにして、村内氏子中にはかつて悪疫の流行した例が無く、過去に近辺の村々に疫病が蔓延して死者が続出した時にも、当社の氏子に感染することは無かったという。氏子達が当社の階段にあつた竹弓千張を持ち出して、各自の戸口に掛けて祈願したので悪疫の侵害から免れたとも言われ、この話が近隣の村々に伝わると、今尚その御神徳にあやかりたいとの人々が続出し、隣村の馬見塚や富塚を始め遠くは上植木や新田郡花香塚など十二ケ村の人達が信徒になったと伝えられている。孝明天皇の御代の慶応年間(1865~68)より始められた氏子の募金を基にして、明治24年、社殿の改築が始められ、栃木の那須山の桧材を使って翌25年に竣工となり、同32年2月15日に遷宮式が行われた。同40年には、下道寺の飯玉神社・神明宮、富塚の諏訪神社・八幡宮・神明宮、除ケの飯玉神社・諏訪神社、福島の八郎神社を合祀し、同42年12月14日、豊武神社と改称した。その後、八郎神社は昭和45年に地元住民の要望によって、福島町へ奉遷された。同52年に、地域住民の浄財によって鳥居・参道・社殿の改修が行なわれ、さらに同62年には天満宮の奉建、社殿・神楽殿の改修が行なわれて現在に至っている。宝物として、伊勢崎城主酒井下野守忠強奉納の獅子頭がある。この獅子頭はケヤキの古根材で渕名の住人弥勒寺義勝が安政3年(1856)に作ったものと伝えられている。また、境内には文久元年(1861)の創設と言われる浦風林右衛門の相撲定辻があり、力士が持ち上げたと思われる力石が今も残っている。その石も時世を反映し、力が付く・一気に持ち上げるにちなんで、いまでは合格石として信仰されている。 |
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