| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <由緒>(平成の祭) 弘仁6年(815)、従四位上検非違使源満季の三男で上野国西七郡を領していた群馬太夫満行は伝教大師の請によって、寺院建立の地を見て廻った時に、夕暮れ大森の火影を頼って行ったところ、祠があり、社名祭典などたずねたところ、神主、神宮直経が大森渓であると答え夜闇になったので青木の庄まで案内したと伝えています。建久6年(1195)2月、上野国内社寺を管掌していた奉行藤九郎盛長と言う人に、日影社の由来を上申、盛長が調査にきているとも言い伝えられます。下室田大日蔭の地は日蔭ではなく日光(ひかげ)の大日向、大日影ですが「ひかげ」の地名が残っているのはここだけです。したがって大日陰の谷津を大森渓と言ったのかもしれません。また大森渓は下室田から中室田へつながる滑川流域の大渓谷か、下室田谷津の渓かわかりませんが、大森渓の日影の社が大森神社の前身のようです。建武元年(1334)、里見伊賀守時成が浄財を寄進社殿を再建したと伝えられいます。 |
|
| |