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| JR日豊本線「霧島神宮」駅→バス(10分) 鹿児島空港→車(35分) 九州自動車道「溝辺鹿児島空港」IC→車(40分) |
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|  勅使殿(2013/11/07) |
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| 539年~571年〔皇紀1200年~皇紀1232年〕 |
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| <霧島神宮>(由緒板1) 御祭神は天孫瓊瓊杵尊にましまし明治七年二月神宮號宣下と共に官幣大社に列せらる。欽明天皇の御宇(西暦五〇〇年代)高千穂峯の嶺、遠くに創祀せられその後噴火のため幾変遷を経て当地に鎮座ましましたるは後土御門天皇の御宇(西暦一四八四年)にして現社殿を造営したるは中御門天皇の御宇(西暦一七一五年)なり。 御祭神は天祖の神勅を奉じてこの霊峰に御降臨遊され鹿児島県内各地に御聖蹟を遺し給ひ崩御の後鹿児島県川内市なる可愛山稜に剣め奉る。 〔平成四年九月吉日之記〕
<霧島神宮>(由緒板2) 当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴き高千穂峯に天降りまして皇基を建て給う国土を開拓し産業を振興遊ばされた肇国の祖神をお祀りしております。
<霧島神宮>(由緒板3) 御祭神天孫ニニギノミコトは天祖天照大神の御神勅を畏み載きて、三種の神器を奉持、高千穂峯に天降りまして、天壊無窮の皇基を建て給うた我が国肇国の祖神を奉斎し、相殿に六柱の皇祖を配祀してあります。明治七年二月「霧島神宮」と社号改定「官幣大社」に列格仰せ出されたお社です 〔鹿児島県〕
<御由緒>(霧島神宮 参詣の栞) 当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し高千穂峰に天降りまして皇基を建て給うた肇国の祖神<天孫瓊瓊杵尊>をお祀りしているお社です。旧記によると欽明天皇の御宇(西暦五四○年)、はじめ高千穂峰のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から五百年前現在の社地へ御鎮座になりました。いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳五年(一、七一五年) に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されている。明治七年二月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。 畏くも昭和天皇陛下には二度にわたる御親拝を賜っております。平成元年五月国の重要文化財の指定を受け、海抜五○○米の此の地からは遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が実に雄大であります。高千穂峰(標高一、五七四米)頂上には神代の旧物“天の逆鉾”があり、中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。
<由緒>(平成祭) 当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し高千穂峰に天降りまして皇基を建て給うた肇国の祖神<天孫瓊瓊杵尊>をお祀りしているお社です。旧記によると欽明天皇の御宇(西暦540)、はじめ高千穂峰のほど近く脊門丘に社殿が建立されたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今から500年前現在の社地へ御鎮座になりました。いまの御社殿は第二十一代藩主島津吉貴公が正徳5年(1715) に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日光とも称せられる。特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されている。明治7年2月「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。畏くも昭和天皇陛下には二度にわたる御親拝を賜っております。平成元年5月国の重要文化財の指定を受け、海抜500米の此の地からは遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が実に雄大であります。高千穂峰(標高1574米)頂上には神代の旧物“天の逆鉾”があり、中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。
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| [2014年] 34万5000人 [2013年] 34万5000人 [2012年] 34万5000人 [2011年] 34万5000人
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