山内 一豊

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信長に仕え秀吉の下で働き、一乗谷城の戦いで活躍するニャン。賤ヶ岳の戦いの伊勢亀山城攻めで一番乗りの手柄をあげる。関ヶ原の戦いでは、家康方の東軍として戦い、土佐一国の大名となる。

読み:やまうち かずとよ
別名:伊右衛門、猪右衛門
改名:辰之助(幼名)→一豊
性別:男性
生年:1545年
没年:1605年11月1日
年齢:60
死因:病死
戒名:大通院殿心峯宗伝大居士
配偶者:見性院
子供:忠義(養子)
兄弟:康豊
父:山内盛豊
母:法秀尼
主君:浅井新八郎→前野長康→牧村政倫→山岡景隆→織田信長→豊臣秀吉→秀次→秀頼→徳川家康
タイプ:武将

名前タイプ住所
 真如寺お墓高知県高知市天神町19−32

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