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| <由緒>(平成祭) 当社は甲斐国志によると、御朱印社領2石9斗余、社地は1611坪、「東西後屋敷村等の鎮守神ナリ、城戸神社或は、野田ノ神社トモ云フ。社中巨樹多シ、又毎年7月26日祭礼ノ夜ニ祠門ノ前、祭リ馬場ト云フ所ニテ神角觝ト云ウアリ、其ノ翌日8社中ニテ興行ス、土人ノ所謂本州三辻ノ一ニシテ遠近ノ力士蜂ノ如クニ聚ル。」とあり又、村里之部に東御屋敷村ノ西ニ続キ西ハ小原村、南ハ中村ナリ、四達ノ殷邑、當筋ノ都曾ト見エタリ、慶長中新宿ニ於テ16ノ馬町相立ツ趣、四奉行ノ印書ヲ蔵ム、木戸ト云フハ、市立ノ場ニ必ズアル地名ナリ、中略、野田ト云處ニ角力場アリ、毎7月26日神祭ニ依テ興行ス。石禾、布施本州3個ノ戯場ナリト云フ。とあるように、新町を中心にした大字三ケ所は山梨郡栗原筋の中でも経済等の中心地で、中世以降、牧の事が中止されてから、特に馬の市が開設され、慶長8年(1603)8月1日徳川四奉行の許可が出されるなど、その賑わいは、前記四達の殷邑、当筋の都会たりと記されているのを見ても推察する事が出来る。その鎮守の森はまた野田の森とも呼ばれ、御屋敷村全体の生活の中心でもあったのである。参考 制札 一、来ル朔日ヨリ御屋敷ノ新宿ニ於テ馬町相立ツ可キ之事 一、當町中喧嘩口論停止之事卯月7月21日 桜井安芸守印 石原四郎右衛門尉印 小田切大隅守印 跡部九郎右衛門尉印
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