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| <由緒>(平成祭) 本神社は、往古西の山麓一の宮に創建されたが、その年代は詳らかでない。現在その地が、南宮神社旧跡として保存され、一の宮の碑が建っている。文安2年(1445)箕輪城主箕輪左衛門尉義雄が、城の鎮護と領内安穏のため現在地に奉遷された。永禄元年(1558)の夏大旱魃があり、城主箕輪左衛門亮頼政雨乞い祈願を行なう。感応ありて降雨著しく田畑潤い郷民ひとしく蘇生の思い。この神徳に感謝して城主・郷民御鹿(しし)75頭を奉賛した。これが今日の御鹿奉納神事の起源である。慶長19年(1614)領土小笠原秀政本神社の崇敬篤く新社殿を造営し、翌元和元年(大阪城落城)6月27日天下泰平五穀豊穣を祈願して、大祭を執行した。爾来この日を記念して例祭日とした。(新暦7月17日)江戸時代初期には箕輪総祀南宮大明神、享保15年(1730)正一位の神階が贈られてから、正一位南宮大明神と称し、箕輪郷の総社所謂一の宮として、愈々信仰の中心となった。明治28年郷社に列格、以後郷社箕輪南宮神社と称し、この地方では格式の高い神社として尊崇された。昭和20年12月神道指令により社格制度は廃止されたが、その後長野県神社庁より有力神社(旧県社の社格)の指定を受け、更に幣饌料供進神社として重きをなしている。
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