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| <由緒>(平成祭) 景行天皇の皇子、武国凝別命が伊予の国に封じられた時、崇敬する伊勢神宮より天照大神の荒魂を奉じ、その御神霊船の海上安全守護の為、龍田風神の御分霊として前記二柱の神を勧請し、無事天照大神を奉斎(現伊曾乃神社祭神)し、龍田風神御分霊は風波守護の意から風伯の神と崇めた。「三代実録」巻の二十七に「伊予国正六位上風伯神、伊予国正四位上磯野神」と記するをみても往時崇敬を集めたと思われる。後、寛永13年一柳直盛没により、子直重が「陣屋」を築く(現県立西条高校)。その鬼門封じ方除とし現在地に風伯神社を移転4月、7月の朔日に近隣より農産物など持ち集り市を開きしより、朔日に市が立つところから朔日市の地名となりし由、西条詩(天保13年日野和煦編述)に見ゆ。尚、陣屋の裏鬼門に一柳家の氏神大山祇神、磯野神を奉斎して今磯野宮を建立(現武徳殿西隣)。しかし、一柳家は三代直興の時改易、後、紀州松平頼純の所領となり風伯、今磯野宮共に荒廃し、ついに寛政年間今磯野宮を風伯神社に合殿合祀し、風伯神社は朔日市村、御城下町の氏神、今磯野宮は神拝村の氏神とした。
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