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| <由緒>(平成祭) 当社は往時愛宕堂(宮)といい、伝承によれば、延応元年(1239)今から748年前、領主那波政茂が領内に飯玉、三島、愛宕などの社殿を創建寄進し、愛宕堂は後の今村城の丑寅の守護神として崇敬したといわれる。その後、裔の那波顕宗が天正18年10月(1590)出羽国で戦没するまで那波家代々の崇敬守護を受けていたといわれるが、近世初めには天台系聖護院門跡末(本山派)大鏡院(山伏)が別当として祭祀を継承していた。なお、今の社殿には、延宝7年(1679)上之宮村の大屋治右衛門が奉納した「愛宕山」の板扁額や宝永5年(1708)の金幣石造鳥居壱基(元禄14年1701)や神佛混淆時代の仁王門(天明8年1788)など愛宕堂時代の遺構遺物が数多く現存している。現本殿の建造年代は、18世紀から19世紀初頭の頃と推定される(200~170年前)。明治初年の神佛分離後に、村社三島神社(字三島182)を始めとして、無格社愛宕神社(字往還西368)、無格社稲荷神社(字明神501)、無格社飯玉神社(字北新街362)、無格社稲荷神社(字古城西847)、無格社雷電神社(字往還西363)、無格社白山神社(字往還西381)、以上7社とその末社を明治40年6月25日現在地に合祀し、村社今村神社と改め、以後稲荷町地域の鎮守神として多くの人々の崇敬を集めて今日にいたった。 |
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