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| <由緒>(平成祭) 社伝によれば、当社は往古より郷民の氏神として、五穀の豊饒を祈り季祭を営むこと久しく、社殿を造営せられたのは萬寿2乙丑年3月であつたと伝へ来りて以来幾星を重ね、中世末期の頃福昌寺社僧となり祭祀を執行するに当り龍神信仰を附會したために社殿の容想は年と共に改遷されるを見るに至った。天正19辛卯年9月跡部民部少輔良直封をこの地に得るや当社の崇敬厚く社殿を改修し神田として坊田に於て四反四畝歩を寄進さる程であった。其の後当郷の発展推移に伴い郷民の氏神信仰は髣髪として鎮守神への信仰に進展し、寛政4壬子年7月郷民の心願は集結され京都神祇官へ主祭神の勧請を懇請するに及び、官はその願旨を許容して神祇官統領神祇伯資延王により正一位出雲大社大明神と同座の神霊を当郷の鎮守神に配祭し給う宣旨を下賜せられた。ここに当社の主祭神は厳しく鎮座せられ当郷の守り神として郷民の崇敬日に厚く、又知行主跡部家より年々祭祀料として、米石6石1斗5升及び幣帛を進められたのであった。明治7年に至り村社に列せられ明治41年4月28日龍神宮及び境内社稲荷神社を合併し、又大正12年9月28日に白山神社を合併し、曩明治44年9月1日神饌幣帛料供進社に指定され、昭和27年宗教法人法に因り同年9月25日群馬県知事の認可を得て宗教法人宮子神社と改正せられ今日に至った。 |
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