| |
| |
| |
| |
| 彦五瀬命(ひこいつせのみこと) 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) 五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)
|
|
| |
| |
| <由緒>(平成祭) 本社は延喜式神名帳に記された男乃宇刀神社二座のうち一座で、御祭神彦五瀬命は神武天皇御東遷に随従して当地に駐輦し給うた縁起により奉祀せられ、五十瓊敷入彦命もこの地を領せられた縁故によって元慶年間に奉祀された。明治12年の神社明細帳に「彦五瀬命、長随彦を征し給う時、官軍を横山彦出迎へ行宮を造る其時御狩し玉ひし所御狩山と言う、今のカリ山之なり此地に神興渡御所在地有之」と記され、また和泉名所図会等にも、神武天皇が長随命を征した時、皇兄五瀬命が流矢に傷つき、軍を反した時、横山彦がこれを奉迎して当地に行宮を営んだと述べられている。当社はこのように延喜の制小社に列した由緒ある古社で、明治六年郷社に列せられ、また明治40年1月神饌幣帛料供進社に指定された。男乃宇刀神社二座のことにつき、神社明細帳に、男乃は兄乃にて五瀬命を仏並に祀し奉り下之宮と称したと述べられている。また同明細帳に「文禄年間に神跡山脈の中央に道路を開拓せしより字切坂と称する所に横山鎮護の神として遷し奉り其後に牛頭天王を奉斎して八坂神社と称し奉りしが明治45年5月遷幸し奉りて八坂神社に合祀す。かかる深き縁をもって昭和21年9月3日下之宮座神社(八坂神社下之宮座男乃宇刀神社)を当仏並男乃宇刀神社に合祀し奉斎せり」とあるように戦後男乃宇刀神社に併合し奉って社殿拝殿は堺市方違神社に移され跡地は当初横山中学校、のち横山高校の敷地となった。下宮「神宮寺」の門前一角に「八坂神社旧蹟」の建碑があるのはこれである。また明治維新まで仏並男乃宇刀神社の境内にも「常願寺」という宮寺があり宇治川合戦先陣の功賞で横山荘を授けられた佐々木高綱の建立といわれ当寺を菩提所としてのち出家し住職をしたといわれている。 |
|
| |