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| 拝殿(2012/05/01) |
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| <御由緒>(案内板) 暦応二年九月九日、信濃国司小笠原信濃守貞宗公の御創建と伝えられ信濃国一の宮諏訪大社より御分霊をうけ宮村大明神と称し永正元年小笠原氏島立右近貞永に命じ深志城(松本城)を築き之に移るに及び産土神と尊敬し、社殿を西面に直し永く城の巽の鎮護神とせらる。 菅原道真公の奉斎は、応永九年二月二十五日信濃守護職小笠原貞基公京都北野天満宮より井川城外に勧請し、文学の守護神として威徳を仰がれた。 小笠原兵部大輔秀政公、天正年間深志城主となるに及び、社殿を宮村宮の右座に遷し、重修して宮村両社と称え産土神と崇祀し大祭を斎行す 当時九月九日が例祭日として奉仕するも奉行に願出て南城下町(女鳥羽川以南)一円の総氏神の例祭として、寛永十一年より六月二十五日(旧暦)に改められ、今日に至る。 松本城歴代城主 石川、小笠原、松平、水野、堀田、戸田家の崇敬篤く、神領、祭器、神宝、社殿等を寄進された。天保十二年二月吉田家の允許を得て、深志神社と公称。 明治五年十一月郷社に列し、昭和三年六月二十五日県社に列す。昭和四十一年七月一日神社本庁より別表神社に指定せらる。
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