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| 西鉄天神大牟田線「西鉄福岡」駅→徒歩(2分) 福岡市地下鉄七隈線「天神南」駅→徒歩(2分) |
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| 拝殿(2012/07/06) |
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| 神直毘神(かむなおひのかみ)<警固大神> 大直毘神(おおなおひのかみ)<警固大神> 八十禍津日神(やそまがつひのかみ)<警固大神>
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| 春祭(3月19日) 夏祭(7月19日) 秋祭(10月19日)
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| <警固神社>(由緒碑) 当社の御祭神は記紀に見える神直日神、大直日神、八十禍津日神の三柱であります。この御三神は仲哀天皇九年庚申(二〇〇)、筑前国那珂郡福崎の筑紫石のほとりに化現し給い、その年の冬、神功皇后新羅親征の時に再び現われられ、軍衆を警固して勝利に導かれました。これにより皇后は凱旋の後、神号を警固大明神と仰いで、福崎丘上(現在の福岡城本丸跡)に奉祀せられました。これが、警固神社の創祀と伝えられております。後世の慶長六年(一六〇一)、藩祖黒田長政公が福岡城築城の際、当社と薬院の地に御鎮座の子烏神社を城南下警固の山上に遷し合祀されました。当社は更に薬院の北(天神二丁目の現在地)に遷られることになりました。爾来、産土神として世人の崇敬篤く、黒田氏は特に尊崇され、元和七年(一六二一)十一月五日、長政公より社領八十石の御寄附があり、相次いで歴代藩主の御寄進が行われました。当社は明治五年(一八七二)十一月十三日、村社に、大正五年(一九一六)二月二十六日、県社に昇格されました。現在は戦後の制度の改廃によって、宗教法人警固神社と称しています。 |
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