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| <由緒>(平成祭) 弘前八幡宮は、慶長17年(1612)二代藩主信牧公の治世、大浦郷八幡(現岩木町八幡)から、それまで大浦城の鎮守と崇めてきた八幡宮をこの地に遷座いたしました。古伝によりますと、信牧公が霊夢によって城の東北地方に高岡と呼ぶ霊地をト定したといわれ、これが現社地であります。この地に鎮座以来、弘前総鎮守、弘前城鬼門守護の、藩内における最も尊貴な社として行なわれた、祭典の斎行、社殿社地の維持管理、社家の処遇等一切藩費によって賄はれ、殊に天和2年(1682)以降藩主在國の年に恒例として行なわれた藩内最大の祭礼の盛観は、弘前図書館に保存されている絵巻物によつて当時のおもかげを偲ぶことができます。現存の社殿(本殿・唐門)は、当時弘前城築城の大土木と併行して造営が進められ、慶長13年から17年迄5カ年を費やし、弘前城より3年遅れて竣工見るに至ったたものであります。昭和11年國重要文化財に指定される。
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