| |
| |
| |
| |
| |
| |
| JR「南小倉」駅→徒歩(14分) 小倉モノレール「片野」駅→徒歩(14分) |
|
| |
| |
| |
| |
| 拝殿(2012/07/09) |
|
| |
| |
| |
| |
| |
| 572年~585年〔皇紀1233年~皇紀1246年〕 |
|
| 歳旦祭(1月1日) 節分祭(2月3日) 春季大祭(4月29日) 夏越祭(7月31日から2日間) 秋季例大祭(10月第4金曜日から3日間) 除夜祭(12月31日)
|
|
| <御由緒>(パンフレット) 神功皇后が三韓から凱旋の時、筑前の宇美で皇子(後の応神天皇)を御安産され、翌年穴門(長門)の豊浦宮にお向かいになる途中、鷹尾(高尾)山の山頂にあった大石(力石)の上に皇子をお立たさせ、遥かに菊の長浜や文字ヶ関を望み群臣を顧みて、「穴門は近し」と御懐かしみなさいました。 敏達天皇十二年(五八四年)勅令により、この故事に基づき鷹尾山の麓に神社を建て、仲袁天皇、神功皇后、応神天皇を祀り、葛城小藤丸を祭祀に当らせ『篠崎神社』とし、天平二年(七三〇年)宇佐八幡宮から分霊を勧請、『篠崎八幡神社』としました。 現在地には、嘉祥三年(八三六年)祇園社が祀られておる宮尾山を美しき神域と御遷座になり、明治以前においては、源義基、平康盛、足利尊氏、細川忠興、小笠原忠真、小笠原忠総等が社殿造営をなさり、昭和四十六年の造営を含め、合計七回あったといわれ今日に至っております。
< 蛇の枕石(夜泣き石)>(由緒板) 八雲社のお導きにより、荒れ狂っていた大蛇も蛇渕で静かに暮らしていた。年ごろとなった折、美しい女蛇と出会い恋におちてしまった。ある日、女蛇は貴舟神の急の使いにより大蛇のもとを去った。大蛇は恋しさに、紫川左岸の蛇渕(現在の本町付近)の大石に毎夜現れ、その石を枕にして「女蛇恋し」と大声で泣いた。八雲社の御祭神のお導きで、大蛇は竜神となり天に昇った。人々はその石を「蛇の枕石」「夜泣き石」と呼び、この事が遠近に伝わって「安穏祈願」「恋愛成就」「子供の夜泣き封じ」等として崇敬されている。 昭和四七年、本町よりハグも社のお祀りしてある当神社境内に遷された。
|
|
| |
| |