師岡熊野神社

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タイプ
神社
名前
師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ)
漢字パターン
おくまんさま
所在地(住所)
神奈川県横浜市港北区師岡町1137
アクセス
東急東横線「大倉山」駅→徒歩(9分)
標高
21m
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公式サイト
https://www.kumanojinja.or.jp/
主祭神
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
配祀
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
須佐之男命(すさのおのみこと)
熊野夫須美命(くまぬふすみのみこと)
加具土命(かぐつちのみこと)
水波能賣命(みづはのめのみこと)
埴山比賣命(はにやまひめのみこと)
稚産靈神(わくむすびのかみ)
天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
事代主之命(ことしろぬしのかみ)
天忍穗耳命(あめのおしほみみのみこと)
瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
様式
権現造
近代社格
郷社
創建
724年〔神亀1年〕
主な行事
例祭(8月24日)
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(平成祭)
祭神 伊邪那美尊、事解之男命、速玉之男命 境内地 約4800坪(16000平方米) 例大祭 8月23日・24日両日 旧氏子区域 師岡、獅子ヶ谷、駒岡、上末吉、下末吉、鶴見、馬場、北寺尾、東寺尾、西寺尾、東子安、西子安、生麦、東神奈川、西神奈川、六角橋、三枚橋、片倉、神代寺、羽沢、菅田、岸根、鳥山、小机、白幡、篠原、菊名、大豆戸、太尾、大曾根、樽、南綱島、北綱島 建造物 本殿 権現造 柿葺(正徳2) 拝殿 権現造 銅葺(明治17) 幣殿 楽舎 神饌所 建坪 46.25坪 熊野郷土博物館 社宝、考古資料、民俗資料、刀剣、古文書等 約20000点所蔵 社紋 三肢烏紋 由緒沿革 この神社は、聖武天皇神亀元甲子年(西暦724)に全寿仙人によって開かれ、熊野山の中腹に鎮祭し和歌山県熊野三社の祭神と御一体である。仁和元年7月には光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され「関東随一大霊験所熊野宮」の勅額を賜わり、それ以来宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧17坊が附せられた。数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は天暦3年より1040回余にもなる。観応2年6月17日、雷火のため社殿は消失したが神体、社宝は無事であり、特に貞治三年の熊野山緑起は現存して神社の故事を伝えて居る。例へば勅使着用の大口袴は大口の地名に残り、供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝、馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂、更にいの池・のの池・ちの池の故事等、枚挙にいとまがない。享操2年、北条早雪公、慶長4年、徳川家康公、寛永19年、家光公、寛文5年、家綱公より御朱印地を戴いたのを始め代々の将軍家の崇敬極めて篤く神社への御朱印は幕末まで続けられた。明治元年、神仏分離の際、熊野神社と法華寺とに2分され、明治3年、縣社に列格したが氏子の陳情する所あって明治6年、33ヶ村の郷社に列した。当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として、又、横浜北部の総鎮護の宮として古代より現代に至るまで広く篤い崇敬を受けている。熊野神社祭事暦 1月元旦 歳旦祭、1月8日 道饗祭、1月14日 筒粥祭、2月節分ノ日 追儺祭、2月初午ノ日 稲荷祭、2月24日 祈年祭、6月30日 夏越祓、7月1日より15日 安全祈願祭、7月土用丑ノ日 病災除神事、8月1日 弁財天例祭、8月23・24日 例大祭、11月15日 七五三祝、11月24日 新嘗祭、12月31日 大祓、毎月1日 月次祭
コメント
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メディア紹介
【2018/05/02】<ビデオ>
超ムーの世界R5
・奈良時代に全寿仙人によって開かれ 古い歴史を持つ 社紋は日本サッカー協会のシンボル「八咫烏」に由来


【2011/08/26】<ビデオ>
波動占術師・諸喜田清子が案内するパワースポット『関東甲信越・金運篇』
・光孝天皇の勅命を賜り国家鎮護などの祈りを行っていた


【2008/08/01】<書籍>
ツキを呼ぶ「神社・仏閣」徹底ガイド
・熊野神の使い八咫烏の「健脚」のご利益が!


初詣参拝者数
[2010年] 7万人
拝殿方向

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