黒田家に仕えて、黒田八虎として活躍し関ケ原の戦いの後に大隈城主となる。 黒田家の当主が長政に代わると対立をし出奔し各地を転々としたニャン。 大坂の役には大阪城に入場し大坂城五人衆の一人として孤軍で奮戦し活躍したが、大軍の前に突撃をし討ち死にしたニャン。 |
読み:ごとう またべえ
実名:後藤基次(ゴトウモトツグ)
改名:弥八郎→基次→氏房→正次→年房
性別:男性
生年:1560年5月5日
没年:1615年6月2日
年齢:55
死因:戦死
戒名:西照院殿夏安道蓮大居士
配偶者:不詳
子供:一意、基則、正方、又市郎、基芳、三浦為勝、娘(野村祐直室)、山中藤太夫室、他子女数名
兄弟:基秀、基次、基景
父:後藤基国
母:神吉頼氏女
主君:黒田孝高→仙石秀久→黒田長政→豊臣秀頼
タイプ:武将
名前 | タイプ | 住所 |
鳥取景福寺 | お墓 | 鳥取県鳥取市新品治町135 |
長泉寺 | 供養塔 | 愛媛県伊予市宮下1563 |
後藤又兵衛の墓 | お墓 | 大分県中津市耶馬溪町大字金吉 |