清水 宗治

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最初は三村家に使えていたが毛利家の家臣になってからは、小早川隆景の配下して活躍し備中高松城の城主となったニャン。秀吉の中国攻めで籠城したが、水攻めを受け城兵の身の安全と引き換えに切腹したニャン。

読み:しみず むねはる
別名:長左衛門
性別:男性
生年:1537年
没年:1582年6月23日
年齢:45
死因:自決
戒名:高松院殿救溺祐君清鏡宗心大居士
辞世:浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
配偶者:石川久智の娘
子供:宗之、景治
兄弟:宗知(月清入道)、宗治、難波宗忠
父:宗則
母:不詳
主君:三村元親→毛利輝元
タイプ:武将

名前タイプ住所
 清水宗治の胴塚胴塚岡山県岡山市北区高松
 高松城跡公園首塚岡山県岡山市北区高松558−2
 清水宗治自刃の地供養塔岡山県岡山市北区高松
 清鏡寺供養塔山口県光市浅江2-1-14

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