山中 鹿介

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戦国大名尼子家の家臣で、毛利元就との戦いでは、尼子十勇士の筆頭となる活躍をしたが、尼子家は降伏し滅亡したニャン。その後も尼子再興に向け秀吉の中国攻めに参戦したが、別所氏の裏切りにあい上月城を毛利軍に包囲され降伏したニャン。幸盛は、護送中に謀殺されたニャン。

読み:やまなか しかのすけ
実名:山中幸盛(ヤマナカユキモリ)
異名:山陰の麒麟児
性別:男性
生年:1545年9月20日
没年:1578年8月20日
年齢:32
死因:不明
戒名:幸盛寺殿潤淋淨了居士
子供:幸元、幸範
兄弟:幸高、幸盛
父:山中満幸
母:なみ(立原綱重の娘)
主君:尼子義久→勝久
タイプ:武将

名前タイプ住所
 金戒光明寺五輪塔京都府京都市京都市左京区黒谷町121
 玉林院位牌京都府京都市北区紫野大徳寺町74
 本満寺お墓京都府京都市上京区寺町通今出川上る2-鶴山町16
 山中鹿介之墓お墓岡山県高梁市落合町近似

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