山本 覚馬

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会津藩士の砲術指南役で、砲兵隊を率いて参戦した禁門の変において勲功を挙げたが失明をしてしまう。鳥羽・伏見の戦いで薩摩藩に捕えられてしまったニャン。時代は明治になり自由と身になった後は、京都府庁で顧問として学校の設立に力を入れたニャン。顧問をやめた後は、最初の京都府会議員に選出され初代議長となったが、翌年辞職し同志社臨時総長として学校の発展に尽力したニャン。

読み:やまもと かくま
改名:義衛→覚馬
性別:男性
生年:1828年2月25日
没年:1892年12月28日
年齢:64
死因:不明
配偶者:樋口うら
兄弟:八重
父:山本権八
母:佐久
主君:松平容保
タイプ:武士→政治家

名前タイプ住所
 同志社墓地お墓京都府京都市左京区鹿ケ谷若王子山町

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