西郷 頼母

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会津藩家老の家に生まれ、そのまま家督と家老職を引き継ぎ藩主「松平容保」に仕えたニャン。江戸幕府から京都守護職就任を要請された時には、辞退を進言したが受け入れてもらえなかったニャン。新政府軍が会津に攻めた来た時は、恭順の意を唱えたが受け入れてもらえず、仕方なく白河口総督して新政府軍と戦ったが白河城を失い会津に帰還したニャン。その後も恭順を訴えたが、他の会津藩士は徹底抗戦で意見が通じづ、追われるように会津を後にしたニャン。その後、土方歳三らと合流し箱館戦争で戦ったものの旧幕府軍の降伏とともに捕えられたニャン。その後、旧会津藩主・松平容保が日光東照宮の宮司となると禰宜となったニャン。そして霊山神社の神職を務め、辞職後は故郷の若松に戻り余生を過ごしたニャン。

読み:さいごう たのも
実名:西郷近悳(サイゴウチカノリ)
改名:西郷近悳→保科頼母
性別:男性
生年:1830年5月16日
没年:1903年4月28日
年齢:72
死因:自然死
戒名:栖雲院殿従七位八握髯翁大居士
配偶者:千重子(飯沼家)
父:西郷近思
母:律子(小森家)
主君:松平容保
タイプ:武士

名前タイプ住所
 善龍寺お墓福島県会津若松市北青木13-33

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