最上 義光

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家督を継いでからは、領地を広げていったニャン。豊臣秀吉の小田原征伐に参戦し、24万石が安堵されたニャン。関ヶ原の合戦では東軍について57万石の大大名になったニャン。

読み:もがみ よしあき
別名:二郎太郎
異名:羽州の狐
改名:白寿(幼名)→義光
性別:男性
生年:1546年2月26日
没年:1614年2月26日
年齢:68
死因:病死
戒名:光禅寺殿玉山道白大居士
配偶者:釈妙英(大崎義直の娘)
子供:家親
父:最上義守
母:小野少将
主君:足利義輝→義栄→義昭→豊臣秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠
タイプ:武将

名前タイプ住所
 光禅寺お墓山形県山形市鉄砲町2-5−7

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