北条 氏康

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周りの国から同時に攻められ危機状態であったが、今川、武田との三国同盟を成立させると、関東方面へ進出し勢力を拡大していったニャン。信玄が駿河へ侵攻すると三国同盟がくずれ、今川を助けるために援軍を出し武田と対立したニャン。徐々に駿河での状況が悪くなっていき、武田との再度の同盟を模索している最中病死したニャン。内政面においては高く評価された手腕の持ち主だったニャン。

読み:ほうじょう うじやす
別名:新九郎
異名:相模の獅子
改名:伊豆千代丸(幼名)→北条氏康
性別:男性
生年:1515年
没年:1571年10月21日
年齢:56
死因:病死
戒名:大聖寺殿東陽宗岱大居士
配偶者:瑞渓院(今川氏親の娘)
子供:氏政、氏照、氏邦、氏規
兄弟:為昌、氏尭
父:北条氏綱
母:養珠院宗栄
タイプ:武将

名前タイプ住所
 早雲寺お墓神奈川県足柄下郡箱根町湯本405

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