戦国時代に島津家の勢力拡大に尽力した猛将だニャン。豊臣秀吉の九州征伐軍での敗戦の後、家督を譲り受け第17代島津家当主になりましたニャン。晩年は若者の教育に勤しみ大隅の地にて死去。13名の家臣が殉死したという。 |
読み:しまづ よしひろ
別名:又四郎
異名:鬼島津
改名:忠平(初名)→義珍→義弘→惟新斎(法名)
性別:男性
生年:1535年8月21日
没年:1619年8月30日
年齢:84
死因:自然死
戒名:妙円寺殿松齢自貞庵主
神号:精矛厳健雄命
辞世:天地(あめつち)の 開けぬ先の 我なれば 生くるにもなし 死するにもなし
配偶者:北郷忠孝の娘
兄弟:義久、歳久、家久
父:島津貴久
母:雪窓夫人(入来院重聡の娘)
タイプ:武将
名前 | タイプ | 住所 |
島津家墓地 | お墓 | 鹿児島県鹿児島市池之上町48 |