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| <由緒>(平成祭) 最上郡戸沢村史に依れば妙見宮は、昔源氏楯の武将安部貞任が深く崇敬し、霊符尊星王を祭ったとも、又貞任本人を祭った社とも伝えられ、元は奥三山に鎮座し、後に岩堰に移り更に二代別当法光の時に現在地に移り、延宝7年(1679)九代別当加性院のとき社殿を改築されたと云う。妙見宮は霊験あらたなる神として、又星の神であるが故に天候を左右し、農作物の豊穣を願う多くの農民に支えられ、社殿の造営はもとより毎月17日の御縁日や旧7月17日の祭りには、近郷近在の人々で賑わったと伝えられます。このことは寛政5年(1793)野口村矢口庄左衛門娘いの、神田村佐藤与右衛門妻の願主により鐘撞堂建立の際、最上郷63カ町村より寄付を募った奉加帳の記録によりこれらを知ることができます。後に内務省管理下に入り、明治6年神田村々社となり同39年勅令を以て天御中主神と稲倉魂命を祭神とした神饌幣帛供進神社の格式が与えられております。天御中主神は妙見大菩薩と称され、家内安全や学問の神としても知られ、又稲倉魂命は五穀豊穣とくに稲作を司る神として広く信仰されております。この社の創建は頗る古く、その歴史を知ることは極めて困難なるも現在地に移転されてから300年以上も庶民の心のより処として、又部落の催事の中心地として寺と共に人々の暮しになくてはならない存在であったと思います。
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