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| <由緒>(平成祭) 御室社由来 当社は第12代景行天皇56年(127)三諸別王が東国平定の詔を奉じ当地方の開拓にあたったが没後領民は王の徳を称え陵であるこの「諸塚」に社を建立しその御霊を祀るを創祀と伝える。御祭神三諸別王は賊に追われた際産屋に隠れて難をまぬがれ産婦に安産を約したことから諸難除けとくに安産の神として信仰されまた王が火矢をもちいて賊を破ったことから「火箭里」の地名が生まれ厚く崇敬されてきた。往古は三室社と称したが寛政10年(1798)仁和寺宮が「御室社」と染筆し爾来これに倣う。この諸塚は鬱蒼とした樹木におおわれているが王が松葉で目を痛めたことから今も松はなくまた正月飾りにも松を用いたことがない。現在の社殿は元禄3年(1690)に造営された「一間社流造り」で享保、延享、宝暦年間に修復がなされ境内には末社として八幡雷電合殿社ならびに領主であった堀田相模守の石祠が祀られている。
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