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| <由緒>(平成祭) 慶長2年の建立で、宝暦年間の御領分社堂に「小川目花松観音堂二間三間本山派別当三光」とあり、寛政年間の「邦内郷村志」に「観音別当秀光13石5斗給分」とある。当社の前身は観音堂で馬頭観音祀り祭祀していたが、天明の大飢饉に農耕・食物・家畜の守護神である「保食命」を勧請し合祀したが、明治の神仏分離令により、主祭神を「保食命」とし、社名も花松神社と改め現在に至る。近郷には藩政時代から牧があったため古くから馬頭観音信仰が盛んで近郷近在から多くの人々が着飾った馬を曳いて参詣し、絵馬を御神前で神職にご祈祷してもらいその絵馬を家畜の小屋の神棚に奉納し、前年の絵馬は神社に奉納する風習がある。(七戸の見町観音の南部小絵馬とは異なる形式のものである。)当社の社頭に「細枝四垂」する美しい松があったと言われ、明治の初期ごろまでは、絵馬舎(4間四方)もあったという。又、一説によると、南北朝の長慶天皇(正平23年~弘和2年・1368~1382)が、この地に潜行され、北の牧の守護神として馬頭観音を勧請、堂舎を建立したのが当社の創始とも云われる。
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