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| <由緒>(平成祭) 浅野神社と御祭神 社伝によれば長徳3年(西暦997)現在の地に、御鎮座されて以来、生産の神・病気平癒・更に雨乞いの神として、たいそう賑わったが、永正年間の一向一揆により社殿は焼失し荒廃をきわめていたが、享禄2年(西暦1529)に再興され、春の例祭日には神輿やシシ舞いが出て賑い、更に秋季祭には流鏑馬が行われたとある。ここで御祭神(おまつりしてある神様)を、ご紹介しましょう。〔※大山咋神(おおやまぐいのかみ)〕往古比叡山の守護神として近江国(現在の滋賀県)坂本に鎮座される日吉大社の主神で、山は水を発し、万物を育成するところから格別の信仰があり、山王さんの愛称もここらから生れた、なお平安期に天台宗延暦寺が山頂に開かれるが、寺院には勝るともおとらぬ参拝者の列が続いた。〔※大巳貴神(おおなむちのかみ)〕別名大國主神(おおくにぬしのかみ)・大地主神(おおとこぬしのかみ)と云い、国土経営・医薬・生産の神として知られ、愛称を大黒様として広く親しまれ、出雲国(現在の島根県)に鎮座される出雲大社の主神である。※浅野神社には左の合併神がございます。〔玉木社・天児屋根命(あめのこやねのみこと)〕別名春日社(かすがしゃ)と云い、藤原氏が信仰した興福寺の守護神でもあり、現在の水車町と元町の接点に鎮座されていたとある。〔神明社・天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)〕現在の昌永町一帯の守護神と崇められたが明治2年9月に、合祀されたと記されている。〔天満宮・菅原道真公(すがわらみちざねこう)〕合併された時期や理由は、一切判明しないが、相殿(そうでん)(主神と共に安置)されていることに間違いがない、当然乍ら学問の神として全国津々浦々で勧学祈願が行われる。※境内には攝社(由縁のある神々を祀る社)。〔若宮白山社(わかみやしらやましゃ)・菊理媛命(くくりひめのみこと)〕婚姻(縁結びの神)の神として有名である。最近は若いカップルの参拝が目立つ、総社は鶴来町鎮座の白山比咩神社である。〔浅野稲荷社(あさのいなりしゃ)・倉稲魂神(うかのみたまのかみ)〕頭初は前田藩家臣、小幡家の邸内神(ていないしん)(自分の屋敷内に作られた社を云う)を命により浅野神社に合祀するも、昭和16年に境内地で、独立建立し、商売繁昌・病気平癒の神様として、親しく参拝される方が多い。(厄除神(やくよけしん)・和豆良比能宇斯能神(わずらひのうしのかみ)〕明治の初期、氏子に住む女性が女児を産む、母子共に産後の肥立ちが悪しく、浅野神社に百日願掛けを行い、満願と共に母子は健康を取りもどし、その喜びを祠(ほこら)に託し建立したものである。〔疫塚(やくづか)と願掛(がんかけ)松〕若宮白山社左側に樹令230年の黒松(赤枯れ病の為に伐採す)は願掛けで伐採の折、幹の内より「クギ」「カマ」「オノ」等が数多く発見された。一方社伝によれば疫塚は本社右に位置すとあり願掛け松と因果関係があると信ずる。
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