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| <由緒>(平成祭) 文明八年(1474)宇佐八幡宮の御分霊を今の地に清水長門守が勧請した。主神に応神天皇と外2柱を祀る。明治大正の頃、十五夜祭には流鏑馬(やぶさめ)が奉納され、のち変じて「やくさみ」(現代の競馬)になった。盛大なやくさみにはもちろん瓜生野、倉岡等から二歳馬(にせごま)を仕立て、多数の参加者があった。神社の裏の大杉(昭和20年の枕崎台風でほとんど倒れ今は見るべくもない)に多くの若駒がつながれ、神社から旭道線へ通じる八幡通りをやくさん馬場と言い、境内からやくさん馬場に向って四頭ずつの若駒が競争した。騎手は七~八才の子供で鉢巻きに黒しゅすの陣羽織を着せ、子供騎手の足を馬の腹帯にしばり、村の若者や見物衆が長い鞭で馬の尻をたたいて応援したもので、騎手は馬の走るにまかせ、田の中に飛び込むものあり、決勝点をはるかに越して今の薬師様まで行く馬ありで終日賑わった。賞品は一等反物一反、タオルその他で裏の杉山では入賞馬を囲み盛大な酒盛が行なわれた。慶応三年(1867)大政奉還され、明治四年廃藩置県と共に天領地に置かれていた当地域の区有地は大字吉村有地となり、十五夜祭および夏祭には御神幸祭が盛大に行なわれている。昭和四十三年(明治100)拝殿および北山神社本殿を改築した。
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