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| <由緒>(平成祭) 当社は其創立第十三代成務天皇(一三一~一九〇)の御宇、武内宿禰をして肇祭せられしと謂う。神殿は吾平山岩窟を以て本殿と成し、窟前に祝詞殿一宇、拝殿一宇を以て構造し参道の石段広さ三間、一百階に及ぶ。旧延岡城主、有馬左衛門尉並びに後の城主、牧野備後守等、代々崇敬の神社にして、祭祀料の地を寄進せられ、社殿修理をも執行あり、又幕府勘定奉行今井九右衛門をして御供田弐石の地を寄進せられ、前者の五石と合わせ七石の供進田ありて、崇敬尤も丁重の神社にして明治維新村社と治定奉斎せられる。尚大祭りには三十三番の大々神楽あり、五色の御幣等持って舞をなし、鬼神、荒神、山の神舞、或は目篭舞とて陰陽二神和合の舞、手力雄の舞等ありて宵宮等その昔、賑わいを見せたり。御神像は、黒塗金泥の逗子に納めた高さ、二尺五寸(七六センチ)の光り輝く、天照皇大神の神像で、鎌倉時代の作と謂われている。
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