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| <由緒>(平成祭) 夫此清浄なる聖地は古代宗廟の鎮座し給ふ旧社跡なり。そもそも和田八幡宮の縁起をたずぬるに草創は極めて遠く古記により往昔天平17年の頃(西暦745)和田村民の発祥にはじまり、氏神として熱く奉斎せしも天正14年8月(1586)時の関白秀吉九州統一の砌薩摩勢乱入し神社仏閣を焼き、乱暴至らざる所なりその際当社も兵火に罹り其の後社殿再興礼典を奉事せり慶安年間(1648)貞享5年(1688)当時実証の神器あり。寛延3年(1750)庚午歳黒田藩主六代目松平筑前の守小將継高公此の社地に社殿を造営せられ武運長久大祈祷の礼典を嚴収尊崇ありしもしばしば霊験あり皇国政体維新の砌規則改正により明治5年11月3日村社に定められ愈厚く本村の産土神崇敬し奉らんと乞希くは神明此、誠志を照覧あれ国家安泰と和田村民の幸福と無窮に護らせ給え。
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