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| 菅原道真(すがはらのみちざね) 斎世親王(ときよしんのう) 正三位中将英明(しょうさんみちゅうしょうふさあきら)
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| <由緒>(平成祭) 老松神社(生田の森)の草創は古く、上古太宰府天満宮の神領地であったので、正二位菅原道眞公一門の方々が御祭神として祀られている。尚神領地になった歴史は不祥なるも、天満宮安楽寺草創日記に記載されている史実に基き、道眞公は承和12年6月25日(845)古人、清公、是善と代々学者の家として朝廷に仕えた菅原家にお生れになった天賦の才は幼少の頃より人々を驚かせられた由。昌泰3年(900)9月宮中清涼殿の菊の詩会で詠まれた詩。君は春秋に富み臣は漸く老いたり 恩は涯岸なく報ゆること猶遅し恩賜の御衣拝受。延喜3年(903)2月25日栄光と苦難の59歳の生涯を終えられた。其の後、延喜19年勅命により天満宮安楽寺が建立された。さらに朝廷は延喜23年(923)4月、道眞公を右大臣に復し、正暦4年(993)太政大臣の位を贈り、公の御霊を慰めることにつとめられた。御社殿は永正12年(1515)乙亥年に多々良朝臣弘詮が建立した。しかしそれは天正14年(1586)8月、秀吉公の九州出兵により高鳥居城(岳城)攻防の際焼失した。後、慶長9年(1604)黒田継高侯のときに再建された。其の後再修理されて現在に至る。明治5年11月3日村社に列格。昭和4年10月15日神饌幣帛料供進指定。希くは神明此れの誠志を照覧あって国家安康と人々の幸福を無窮に護らせ給まえ。
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