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| <由緒>(平成祭) 創建年代は詳らかでありませんが、往古より祇園三社天王、牛頭天王と称され、「祇園さん」と崇敬されています。スサノウの神は、神話の中で八岐のおろちを退治された神様で、荒神さまで又水の神でもありました。深浦は城山の裏側にあり、米子城水軍の根拠地でもありましたから、その近くに京都から祇園社を勧請したでしょう。江戸時代の天和2年(1682)、享保10年(1725)、天明7年(1787)などに建かえたという記録があります。往時より水に関わる農水産業の人々に篤く信仰されています。愛宕社は、毛利、尼子の戦の終わった天正2年戌8月(1574)に当時の城主が飯山に築砦する際に城郭、鎮守の神として勧請するとあります。慶長12年子3月には米子城主中村一忠が再建され、下って元和2年戌2月、時の城主加藤貞泰氏が深浦の藍茸山今の愛宕山に、遷し社殿建立されました。享保18年9月、鳥取池田藩主の家老で米子城主荒尾氏が再建され、今の社地登り72間、横30間の社地を拝領し、伯州一円、護国鎮火城内火伏の祈願所として崇敬されました。明治初年まで伯耆一円の火難除去の守護神として敬神、篤きものでした。
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