大野石清水八幡神社

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タイプ
神社
名前
大野石清水八幡神社(おうのいわしみずはちまんじんじゃ)
正式名
石清水八幡神社(いわしみずはちまんじんじゃ)
所在地(住所)
香川県高松市香川町大野字宮中1520
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主祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(平成祭)
石清水八幡神社は香川郡大野村大字大野に鎭座して、祭神は 譽田別天皇で、其の創建極めて舊く、大野郷一郷の社として里人の崇敬を受けてゐた。大野郷とは大野、淺野、寺井、一ノ宮、三名、鹿角、の六邑を包容してゐた。全讃史にも大野正八幡宮ハ在リ二大野村ニ一。其ノ所二由來スル一遠シ矣。貞治二年細川右馬ノ頭頼之征スル二豫州河野ヲ一時、截ルト三旗竿ヲ於二此ノ社内ニ一云フ。青井信濃主トル二其祠ヲ一とある。當神社の舊記には、「讃岐香川郡大野郷八幡宮は未だ何人の草創であるかを知らない。應安の昔には細川家が常に當神社を崇敬して居られた。其の故を尋ねるに當村南ノ城に美女があった。顔は蕣華のやうであった。岡館(ヤカダ)、詮春公は其の麗質を聞いて深く是を愛せられた。やがて1男を生ましめられた。初、其の女當社に出産の平安を祷ったによって、願の如く出産は安らかであった。是に依って細川公は寒川郡鴨部邑に於て社領を寄せられた。康暦元年閏4月3日には細川武州(頼之)入道が伊豫の河野氏を伐った時に、當社に戰の勝利を祷り、且つ神苑の竹を切って旗竿とし、此處の竹を理白(メジロ)竹と稱した。同年冬10月に戰は勝って歸った。乃ち當社に奉賽の爲に参詣し、岡隼人正に命じて神殿を再興した。天正13年に長曾我部元親が南ノ城ノ松倉氏を討って来た時に當社は兵火に罹って灰燼となった。此の時に仲樂寺、極樂寺、眞樂寺等も燒失したのである。其の後慶長中、大野氏是を憂へて社殿を造營した。(原作漢文)」とある。此の慶長中とは棟札によれば慶長19年8月のことで願主大野孫太夫とある。其の後慶安3年4月の再建の棟札がある。願主は大野權右衛門、田村勝五郎とある。それから寛文4年9月再興の棟札がある。願主は大野權十郎、岡助右衛門である。斯の如く數度の再建はあったが、明治年間に至って社殿大いに頽破となったので、明治卅九年に改築の議が調ひ、翌2月に工事を起し其の年の12月に出來上り、其の明年の1月に遷宮したのが現在の社殿である。神門は天正の兵火以來久しく再興しなかったが、寛延2年(皇紀2409)8月に再建してゐる。此の時の願主は大野孫太夫、由良勘十郎、三野治太夫、笠井孫十郎、田村不明等であった。時の神職は青井宮内で政所は田村市烝であった。

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