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| <由緒>(平成祭) 口伝古記録をたどれば当神社は古く源平以前の創始とも伝えられ、往古より旧香川郡箆原郷東浜邑(八輪島、旧高松城天守閣所在地)に鎮座していました。天正16年(1588)秋、国守生駒雅楽頭近矩がこの地に高松城を築くことになり、東の方域城外(今の井口町)に奉遷し、治城鎮護の願意にて居城に向け西向きとしました。寛文6年(1666)正月大火があって社殿悉く類焼したため天和2年(1682)にさいけんされました。この時、藩祖松平頼重公自作の両福神の木像を、又奥方より弁財天の像を奉納されました。寛政年間(1795)より享和の初めにかけて、丸の内の寄士(往古鎮座地のものを含む)を運び東浜に新地を築き、その北端の清浄の地(現在地)を卜して境域と定め社殿を造営し、享和3年(1803)2月20日遷座し奉りました。安政元年(1854)寅の11月5日大地震があって、本社末社の正殿のみを残してその他の建物は総て倒壊しました。直ちに氏子、崇敬者の有力者により発起出願して弊殿、拝殿その他を建立しました。当神社は古くは恵美須大明神、蛭子大明神、東浜恵美須宮、又東浜恵美社等、時代により人により種々称えられてきましたが、明治3年(1870)11月社号改称の際、東浜神社と定められました。古来藩主並びに一般民衆の崇敬篤く、農工商漁業の守護神として、且は港湾鎮守の神として冬夏の祭典は地方屈指の祭礼として有名でありました。昭和20年(1946)12月21日の大地震のため、建物悉く焼失倒壊しましたが氏子崇敬者相謀り鋭意再建復興に遭進し昭和40年(1965年正月に至って御手洗舎、外周玉垣の一部を残して現在の如き御社殿を見事に再建いたしました。
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