白羽神社

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タイプ
神社
名前
白羽神社(しらはじんじゃ)
別名パターン
八幡宮
所在地(住所)
香川県高松市牟礼町牟礼1354
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主祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
合祀
木花佐久夜姫命(このはなさくやひめのみこと)
建速須佐之男神(たけはやすさのおのかみ)
大山津見神(おおやまつみのかみ)
闇山祇(くらやまつみ)
菅原道真(すがはらのみちざね)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
経津主神(ふつぬしのかみ)
鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)
原山祇(はらやまつみ)
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(平成祭)
文明年間の創建と伝へられ楠窪神と称せられしが、当郷の主中村加賀守氏宗神示によりて現今の地に遷座し白羽八幡宮と称すといへり。社記によれば或時氏宗病に罹り殆ど死せむとす。時に氏宗 楠窪神に祈りしに其の夜の夢に老翁現れ、我は八幡大神なりと告げ給ふ。氏宗夢さめて感激、心身を清めて礼拝せしに病忽ち癒ゆ、氏宗報實の為め神殿を造営せんとせしに又夢ありて白箭東方より飛来りて城北の林中に入る。氏宗以て神示となしその地を尋ねしに果して白箭あり。即ち其處に社殿を営みて楠窪神社を奉遷し、拝殿、下拝殿、衛門等を建立して白羽八幡宮と奉称す。天正年中長曽我部氏の兵亂起るを聞き、氏宗の斎中村恒トなる者山下の田の中に小社を営み奉遷せしが、天正11年兵火に罹り焼失せしを明暦2年神託により氏宗が勧請せしもとの地により奉遷せりといふ。氏宗は美濃の人移りて当郷に住し田井城を築きて之に居る。氏宗の子恒頼(宗ト)の時天正8年居城火災あり。時に恒頼十河存保と隙あり、且つ長曽我部氏当国に侵入の報ありしを以て急ぎ居城を得んとし当社に祈願す。乃ち神夢により八栗に城を構へ長曽我部氏の部将数珠掛孫兵衛と戦ひて大いに之を破る。仙石尾藤両氏に歴任すといへり。かくて当社は世々中村の崇敬厚く社殿の造営及び各種の寄進多し。三代物語に「白羽八幡宮、牟礼一郷社祀之別当最勝寺此郷不生鯰荒神之所悪也」と見ゆ。元禄十年岡市郎右衛門貞氏(牟礼里正)那須甚大夫某(大町里正)等相謀り社殿を再興し田若干を寄付せりと。其の後亨保18年、貞亨五年、文化8年、文政10年天保15年、嘉永2年等に改修あり。明治14年本殿、幣殿を、同41年拝殿、御供所を改築す、今の社殿これなり。明治維新の際郷社に列せられ、同40年9月21日神饌弊帛料供進神社に指定せらる。(全讃史、名勝図会、讃州府志)大正5年字落合庄山神社、字北山田山神社、字八栗山神社、字落合奥谷神社、字反熊反熊神社、字川原恵比須神社、字宮北向井神社字春木波里神社、字川原天神社を合祀す。

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