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| <由緒>(平成祭) 当社は片原町の天神さん、あるいは北向天神として長らく高松市民に親しまれた神社である。祭神の菅原道真公は仁和2年(886)讃岐守として着任その時にこの近くに上陸まず愛行院の住僧、増圭を訪ねられ、翌日任地の国府庁へ入られた。任終り京都へ参られる時にも増圭は参庁してお名残を惜しむ道真公は自筆の画像を賜うた。延喜3年(903)道真公が筑紫にてなくなられると一社を建立して祭祀修行した。その後生駒親正が現在の玉藻城を築く時川水が流れて防ぐ手段が無く困っていたが夢告げにより円石25個を納めて祀れとあり、川水がすっかり止まった為お城の鎮守として「北向天神」として信仰された。
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