ちきり神社

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タイプ
神社
名前
ちきり神社(ちきりじんじゃ)
正式名
榺神社(ちきりじんじゃ)
相違パターン
勝神社
所在地(住所)
香川県高松市仏生山町甲2566
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公式サイト
https://www.chikiri-jinjya.org/
主祭神
稚日女命(わかひるめのみこと)
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<由緒>(平成祭)
御祭神 稚日女尊。歳旦祭1月1日、春大祭5月11日・12日、秋大祭10月11日・12日。稚日女尊は天照大神の御女に座して太古御母大神の御側に神布を織らせ給ひし神にまし坐せり。神功皇后三韓征伐の御時大神の和魂は皇后の玉身に服ひて皇后の御壽命を守護し荒魂はみをさきとなりて皇后の師船を導き給ひ活田の長峡の国に居らんと宣ひし大神なり。当社は徃古香川郡浅野村唐土に鎮座まして神威顕著なりしを後一條天皇萬壽年間仏生山町浅野村の境今の平池のある所は一面松原にして高からず低からず清き岡にして景色善き宮所なりとて宮所をその地に移し奉らんとす里人神威を恐れて是に故障起り今に喧嘩池唐土滕高等名の残れる所あり。近衛天皇久安年間宮殿の周圍に池を築く然るに後年水掛り増加し池狭溢灌漑に便ならざるを憂ひ後白川法皇治承二年当時天下に知行数三十余ヶ国荘園五百余ヶ所に及び諸国に築島し或は音戸の瀬戸を開通する等工事に著手せし平清盛は一子重盛に命じ池普請築城等に功ありし阿波の国の名族阿波民部(始め平家方にて屋島の行宮を築き後源氏に仕へし人)をして比の池を広大に築き水理の便を謀らしむ然るに堤幾度築きても水溜り申さず是に国君より所々に仰せつけられし御鬮に右様の所人柱を築き込み申さずては水溜り申さずと国君より国中へ人柱仰せ出されしも何れも御免を豪り度由申して池普請ならず里人憂へ悲みてありけるを或夜白衣着用垂髪の神女滕布を抱へ往来ありしを人柱申て築き込み申せしに是に始めて池普請成就すと是に里人神徳の尊く不思議なるを敬ひ歓びあへり比の池を平池といふ又平清盛の命によれるによりこの称ありとも云伝ふ幾許もなくして洪水あり支流洋々として宮殿を漬す依って西方岡上に遷宮し今比所を古宮と称す次で東方仏生山に遷す爾後松平頼重朝臣水戸より封に就くにあたり佛閣を比の地に創め以て同家の墳墓の地となす是に霊元天皇寛文9年酉冬11月13日前山現在の社地に遷宮す社殿は頼重朝臣の建立に係り爾来国主累代の尊敬厚く藩主と當社の関係につきては田村内記著滕大明神来由並神主由緒に詳しく即ち當国一宮田村の社祠官田村武太夫2男四郎太夫を以て當社神主となし高18石を寄進し當社唯一神道社格は通称四社と称する石清尾八幡宮中野天満宮道祖神社稲荷神社(高松市鎮座)と同格となし毎年正月4日城内書院に於て獨禮拝閲を許さる又當社境内東北隅に宗源壇と申す祈祷所を設け国中事ある時は藩公自ら祈祷をなし国中へ神符を配布すと当社御鎮座以来是に3百數10年社運益々隆昌幣帛神饌料供進の社に列せられ仏生山下浅野村の産土の神として今日に至れり。

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