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| 八坂神社[木太町](やさかじんじゃ[きたちょう]) |
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| <由緒>(平成祭) 御祭神須佐之男命。相殿天照大神天津児屋根命。昭和55年(1980)今年は氏神様が木太町お鎮りになって丁度、990年になります。正暦元年(紀元990)の創建と伝えられる。平安時代で木太町は長尾街道より北部は、まだ海であった時代である。三物語、全讃史などの伝えによると、正暦元年8月8日に一つの甕がのった筏が流れて来て入江郷についた。(入江郷は木太町の旧名)里人等は怪しんで、この甕を役所に奉った。その夜、里人の夢に形は夜叉のようで頭に角が生えた神様が現れて告げることには「わたしは牛頭天王である。この里の里人は心が素直で清浄であるので尾州海部郡よりこの地に来た。わたしを祭ってくれたら、いろいろな病は治り、ますます幸せになる。」と、翌朝に里人等が夢の話をしてみると皆が同じ夢を見ていた。そこで里人は力をあわせて祠を建て、8月8日を祭日としてお祭りをした。神様が現れた所を影向塚と言い影向神社がお祭りしてある。八坂神社は以上の由緒のように、大昔から木太郷一郷の大社であって、木太町の氏神様であり、国守、藩守の崇敬が厚く多くの寄進をうけている。明治初年牛頭天王社といっていたのを、八坂神社と改称し郷社に列格した。現在の社殿は文久年間の建立である。なお屋島潟元の八坂神社は当社の御分霊をお祭りした神社である。 |
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