| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <由緒>(平成祭) 末の松山の南方字宮内に延暦年間(782~805)坂上田村麻呂が東征にあたりこの地に兵を休め、戦勝祈願のため勧請したものといわれている。もとこの神社は、末の松山の西、現在「古舘」と呼ばれているところに鎮座していたものを建保年間(1213~1218)に現在地に遷宮されたといわれている。また、この神社はいろいろな名称で呼ばれている。沖八幡ー古代この地域は「沖の井里」と呼ばれていたことから「沖八幡」ともいわれた。ゆがけ八幡ーこの由来は、平安時代の末期、天喜・康平年間、源頼義、義家父子が前九年の役に、弓を射るとき右手を保護する皮製の手袋、すなわち「ゆがけ」を神前に奉納し、戦勝を祈願したことに由来すると伝えられている。神社が鎮座しているこのあたり(東西120メートル、南北180メートル)一帯が「八幡沖遺跡」であり、古代住居群跡といわれ、昭和47年の調査では、参道に沿い南側に東西約100メートルにわたる土塁状の遺跡と、社殿を中心に須恵器、土師器の小片が散布していることが確認されている。 |
|