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| <由緒>(平成祭) 勧請の年代、事情共に不詳である。「鈴鹿郡賦」に、「大木神社ハ青木ノ明神ノ宮ニシテ、今石薬師駅ノ天王社ノ同殿ニ巫ス」とあり、『三国地志』は、「アヲキト云、其下ニ小祠アリ、いまハ亡シ、俗大日霊ノ習合ニヤ」と記している。当社明細帳によれば、延喜式神名帳河曲郡22座の1、もと河曲郡富村字船塚に鎮座のところ、元和年中(1615~24)に、一村が今の石薬師へ宿立ち移住することになり、寛永年中(1624~44)に当社も該地から今の地へ遷座したとある。明治元年御東幸に際しては、御調査の上、勅使植松少将殿が御参拝になり、玉串と幣帛料と奉納されている。同年、元度合県管轄鈴鹿郡第三区の郷社に被定されたが、同六年に村社列格となった。 |
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