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| 誉田別命(ほんだわけのみこと) 神功皇后(じんぐうこうごう) 日女大神(ひめのおおかみ)
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| <由緒>(平成祭) 当社は人皇65代花山天皇の御字寛和元年乙酉京都の社人藤原左京太夫と鞍馬寺の住僧修多羅大徳権与の両名勅宣を蒙り山城国石清水八幡の神影を移し奉り当国松原郷に勧請せしもので康平3年庚子源頼義源義家奥賊征討の時、宿願あり其の後乱逆相続きて戦あり、前后12年にして逆徒誅戮の功を奏し寛治年間帰陣の時、白河二所の関にて常陸国多珂郡の守護宇佐美左衛門時景に命じ多珂郡の内200町を社領として附与せられ三十三郷総一社とす。この時今の地に遷座す。文明12年庚子更に佐竹公より38貫文附与せらる。慶長7年11月従前の社領を廃し更に内大臣徳川家康公より御朱印45石を拝領、続いて多珂郡三十三郷の総社たり、其の后水戸領主、源義公、源武公、源烈公の御社参あり、殊に松岡藩主中山備前守崇敬の社にして藩内二十九ケ村の総鎮守たり、古来領主、藩主の崇敬篤く中世は当地方を支配した佐竹氏、岩城氏等のたびたびの造営は現存せる棟札で知らる。 |
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