| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| |
| <丸山城の由来>(説明版)
丸山城は天文十七年(一五四八-四三六)年前、天文の乱(伊達植宗・晴宗父子の争い)に破れた植宗が隠居したことで有名になった。
植宗は永禄八年(一五六五)この城で没するまで十七年間、隠居生活を送ったことになる。
植宗の没後はこの丸山城をはじめ、隠居料としてもらっていた丸森ほか五か村は、植宗の世話をした長女の嫁ぎ先、相馬氏がそのまま所領とした。(このことが後に伊達氏と相馬氏との争いの大きな因となった。)
善提寺は植宗が伊達郡におった折に善提寺としていた松音寺が善提寺となった。(この松音寺は、政宗の代に仙台に移した。)
元亀元年(一五七〇)相馬氏は、落土門間大和を丸山城主とした。
天正四年八月、伊達晴宗・輝宗父子は、小斎矢目十二年を数え相馬氏を攻撃、その各地で激しい戦いが交えられたのである。
その間に晴宗は没し、輝宗の子政宗もこの戦いに出陣している。
戦いは終わって伊具郡は元通り伊達氏のものとなり丸山城は黒木氏元が城主となる。
その後家老高野老岐親兼が城主となり、金津から移封されて城主となる。
この年から慶長六年(一六〇一)大条薩摩守実頼がに移り、(一説には三年後)大条薩摩守は鳥屋館令は本丸跡に愛宕神社が祀られ、境内に伊達植宗の墓碑が建っている。 〔
丸森町商工会
丸森町観光協会] |
|