宮崎神社[相合]

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タイプ
神社
名前
宮崎神社[相合](みやざきじんじゃ[あいおう])
旧名
宮崎八幡宮
別名パターン
相合の八幡さん
法人番号
所在地(住所)
広島県安芸高田市吉田町相合261
アクセス
JR芸備線「吉田口駅」→徒歩(1時間38分)
JR芸備線「甲立駅」→徒歩(1時間52分)
中国自動車道「高田IC」→車(12分)
標高
241.6m
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主祭神
品陀和気命(ほんだわけのみこと)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
多紀理比売命(たきりびめのみこと)
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
相殿
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)
帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)
大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)
建御雷之男神(たけみかづちのみことかみ)
大山津見神(おおやまつみのかみ)
様式
三間社流造
創建
1350年〔正平5年〕
御由緒
御縁起
御神徳
歴史等
<宮崎神社>(説明版)
郡山城四代の城主、毛利師親(後に元春)が、一三五〇(観応年間) 年頃相模国宮崎より勧請した八幡宮で、毛利氏の氏神として崇敬された。
社は一五二三(大永三) 年元綱反乱のとき兵火で焼かれ、また、一五四一 (天文一〇)年一月一三日毛利・尼子の郡山合戦のとき尼子の陣地となって
激戦が行われたが、 一五六八 (永禄一一) 年毛利元就によって再建、その後も毛利氏により修理再造された。
師親が石見国佐波善四郎を攻めるため先陣をうけ、江の川を渡ったとき鐙石の奇瑞で大功をたて、当社を勧請する由縁となったという。
鐙石は「川通り餅由来の石」として有名で、社宝として今に伝えられている。
〔一九九九七(平成九)年三月 吉田町教育委員会〕
拝殿方向

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