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| JR芸備線「吉田口駅」→徒歩(1時間38分) JR芸備線「甲立駅」→徒歩(1時間52分) 中国自動車道「高田IC」→車(12分) |
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| <宮崎神社>(説明版) 郡山城四代の城主、毛利師親(後に元春)が、一三五〇(観応年間) 年頃相模国宮崎より勧請した八幡宮で、毛利氏の氏神として崇敬された。 社は一五二三(大永三) 年元綱反乱のとき兵火で焼かれ、また、一五四一 (天文一〇)年一月一三日毛利・尼子の郡山合戦のとき尼子の陣地となって 激戦が行われたが、 一五六八 (永禄一一) 年毛利元就によって再建、その後も毛利氏により修理再造された。 師親が石見国佐波善四郎を攻めるため先陣をうけ、江の川を渡ったとき鐙石の奇瑞で大功をたて、当社を勧請する由縁となったという。 鐙石は「川通り餅由来の石」として有名で、社宝として今に伝えられている。 〔一九九九七(平成九)年三月 吉田町教育委員会〕 |
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