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| 大福銀山十二山神社(だいふくぎんざんじゅうにさんじんじゃ) |
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| <供養塔 由来>(説明版) 野州((栃木県) 佐野天明町(佐野市)の鋳物師と鉱山師、正田利右衛門は安政三年(一八五六)九月、上田銀山の安泰と犠牲者の冥福のため、銀山の発見者である源蔵の子孫の 折立村の星源蔵(襲名)を世話人として買石原にこの供養塔を建立した。 この供養塔の回りには数十の墓石が建てられていたという。この地は今は奥只見湖の湖底になっていて、供養塔は昭和五十年に現在地に移された。 この地はほぼ原地点の買石原あたりを見下ろす地で、十六基の墓石が回りを囲んでいる。 この供養塔の移転は、当初、入広瀬村の明神沢(シルバーライン沿い)へ行われたが、 銀山ゆかりの地に移すのが至当と、現在地に再遷座されたものである。地元の鷹の巣の人たち、湯之谷村当局、銀山拓殖株式会社、電源開発株式会社その他関係者のご尽力は多大なものであった。 〔利右衛門末裔 遠藤康次記〕 |
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