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| 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 霧島大神(きりしまのおおかみ) 稲蒼魂大神(うかのみたまのおおかみ) 地主龍神大神(じぬしりゅうじんのおおかみ) 太田権現大神(おおたごんげんのおおかみ)
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| 歳旦祭(1月1日) 節分厄抜記念祭(2月3日) 例大祭(5月第3土曜日から2日間) 感謝祭・観音祭(11月3日)
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| <由緒>(由緒版) 当神社の聖地はコシャマインの乱に関係が深くアイヌが庵をむすび、御神木と伝えられる櫟(いちい*樹齢約六百年)の根本より霊水が湧き出ており、古き祠が祀られていたと伝えられる。 明治以前より当地付近一帯は前多氏の所有する田畑であった。明治四十四年、前多氏が損壊していた祠を新たに立て直し尊祀するも、その後、佐々木氏が前多氏より譲り受け居を構え、感ずるところありて付近に点在していた神々様を合祀し、農業を営む傍ら幾多の困難にも挫けることなく、いよいよ強固な敬神の心で世に打ち迷う人々の心の支えと共にご神徳は村内外に広まり、済われし諸人等が上湯川の龍神様の尊称と共に日々の信仰の生活は広く篤く年を重ね、いよいよ上湯川村の氏神様の斎き祀り。 前多氏初代より佐々木氏四代に亘り御神徳発揚に勤め幾多の遍歴を重ねながら、昭和二十年敗戦の衝撃と戦後の混乱の中にあっても敬神の心は変わることなく乗り越えられたが、世代は変わり時の移りと共に昭和四十年、当地の付近一帯は団地造成が始まり、付近一帯は函館市より買い上げられる事態となり、佐々木氏もやむなく此の土地を離れ、以来、上湯川の龍神様の尊称も次第に忘れ去り尊敬する人もなく、日増しに損壊する状況であったが、昭和五十五年七月、現宮司が神告により復興約束し、再び尊敬することとなった。 開祀はアイヌが尊敬して五百五十年、遍歴を重ねながらも明治四十四年を開基、昭和五十五年を神社創建と定め、以来、神道強化育成と共に境内、神社の整備に邁進して、信者・崇敬者の心の拠りどころ、地域に根ざした鎮守の杜として、祭祀を厳修し、御神徳の昂揚に勤め、信者・崇敬者・地域住民の真心に応え奉らんとするものであります。 当地は古来より聖地であるものの、祠をお祀りした文献や由緒書などは何ひとつ残っていないが、歴代にの神守と古老の口伝によるもので、現宮司、神守として六代、祈祷師として三代目である。 |
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