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| 拝殿(2014/10/24) |
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| <佐與姫神社>(由緒版) 松浦佐與姫を祭るこの神社は、宣化天皇二年十月、大伴狭手彦は勅命により、任那を援護することになり、京の都を発し松浦国篠原の里に滞在した。篠原村長者の娘佐與姫は心優しく狭手彦と想思の仲となった。いよいよ出航の時、別れを惜しみ後を慕い領布振山(鏡山)に登り遙に船影を望んだ。更に松浦川を渡り、沖合遠く走る帆影は小さく雲間に没して見えなくなった。姫の悲嘆はますます募り田島神社の神前に詣でて夫の安泰を祈念しながらも泣き続け息絶えて神石となられた。世にいう望夫石である。これをお祀りしたのが当社である。豊臣秀吉より文禄二年百石の御朱印以来、徳川将軍家に引継がれた。その後佐與姫の想いがかない、狭手彦は無事帰国した。以後唐津城主の姫君などがお忍びで再三参拝され、良縁の御守を持ち帰られた。以来縁結びの守神として信仰厚く、男女の参拝は習俗となって現在も続いている。
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