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| 唐津城(2014/10/25) |
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| <唐津城>(案内板) 唐津城は慶長十三年(一六〇八年)に完成した平山城です。城を築いた寺沢志摩守広高は豊臣秀吉の側近で、築城には名護屋城の解体資材を用いたといわれています。 城は本丸・二ノ丸・三ノ丸・外曲輪に分かれ、本丸には天守台、二ノ丸には藩主の住居と藩庁があり、三ノ丸にはほとんどの藩士が住み、外曲輪には町人が居住し町奉行所がおかれていました。 城には寺沢氏以後は代々譜代の大久保・松平・土井・水野・小笠原の諸氏が入城しました。寺沢氏の十二万三千石ではじまり、廃藩前は六万石でした。明治十年から本丸跡は現在の舞鶴公園として一般に開放され、藩主の住居は高校敷地となっています。 周囲約一キロ、面積四.三ヘクタール、海抜四十三メートルにそびえる現在の唐津城天守閣は天守台跡に慶長様式で、文化観光施設として昭和四十一年に完成したものです。天守閣は五層五階、地下一階で博物館、展望所等があり、展望所からは、松浦潟の全景が一望におさめられます。また唐津城は別名舞鶴城ともいわれ、観光唐津のシンボルとして皆様に親しまれています。
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