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| 本殿(2014/09/17) |
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| <石壁神社>(由緒版) 抑も萬子媛は天資温厚風姿端正にして威儀神の如く、夫君直朝公徳政の蔭には其の内助の功與って力ありしと、入嫁以来琴瑟相和し二子を擧げらる、長を文丸次を式部と云ふ、二子不幸にして早世す、夫人深く哀痛殆んど寝食を忘るゝに至る、一夕飜然として悟る所あり、人生を悲観するは是常人の事なり、如かず身を神仏に奉じ心を千載不磨の道に注ぎ、以って悠遠の楽を全ふせんと、乃ち貞享四年(六十二戈)地を古田村(今の古枝)清淑の地に相し殿宇を建立し、以って先に受けたる稲荷大神の神霊を勧請し、躬も亦た居を此に遷して邦家の安泰を祈ること十有九年宝永二年宝算八十にして石壁山々原の巌を穿ちて寿蔵を構造せしめ、同年四月工成るや此に安座し堅く戸を鎖して千載不祓の祈願を込め瞑目せらる、諡して祐徳院殿瑞顔實麟大師と號す。 明治四年神仏混祀を禁ぜらるゝや神號を萬媛命と追崇し社殿を石壁神社と称す。 |
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