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| <雲松院>(案内板) 関東管領山内上杉家の土豪矢野兵庫助の居城といわれている小机城は、文明10年(1478)に扇谷上杉家の家宰太田道灌に破られてから廃城となっていましたが、大永4年(1524)頃、小田原北条氏の勢力圏に入り、南武蔵の軍事上や、経済上の重要起点として修築され、重臣笠原越前守信為を城代としました。 信為は、父能登守信隆の追善のために、季雲を招いて開山とし、自らが開基となり曹洞宗寺院、臥龍山雲松院を建立しました。 その昔、この地に龍池という池があり、二世天叟が、この龍の住む池にちなみ、山号を臥龍山とし、伽藍を建立したという説が「臥龍山雲松院起立記」にあります。 山門横の通用門には、月舟宗胡筆の「臥龍山」、本堂正面には、東皐心越の「雲松院」の額があり、共に名僧の誉れ高い禅師の筆になるものです。 墓地には、笠原家代々の墓所、ならびに池辺村の地頭門奈氏墓所があります。 〔横浜市国際観光協会/横浜市教育委員会文化財課/平成2年3月〕 |
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